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済州島で、アイデンティティについて考える<2>

    高麗(こうらい)が朝鮮半島を統一した後、12世紀ころからチェジュとよばれるようになったが、王子がそのまま地位を継承し、実質的な統治者の役割を果たした。13世紀には、フビライ汗率いるモンゴルに侵入を許し、100年ほど苦難の時代が続いた。14世紀過ぎには、倭寇(わこう・瀬戸内、北九州の海賊の総称)もずいぶんお邪魔しているらしい。14世紀末、高麗が滅び、李氏朝鮮に変わってからも、チェジュは、その地理的条件ゆえ独自の文化を築き、耽羅国の風習と伝統を継承してきたという。

    日本とはどういう関わりがあったの? 気楽な気持ちで尋ねてみたが、辛さんは答える代わりに、静かに言った。前に日本の教科書を見たことがあるけれど、自分たちが習った歴史とは違うことが書いてあった、と。私は古くは豊臣秀吉や、加藤清正のこと、新しくは日本軍による韓国併合のことなんかを思い浮かべ、それ以上訊くことが出来なかった。

    済州民族自然史博物館で、辛さんは聞いた。日本の国鳥は何ですか? えっ? こくちょう?うーん、鶴(つる)かな? 鴇(とき)じゃない? まさか鳩(はと)じゃあないよね?・・・・・私たちは、取りあえず思い浮かぶ鳥を口々に言った。
    『正解は、雉(きじ)です。その国鳥のキジのしゃぶしゃぶがここの名物でーーす。』辛さんは、嬉しそうにはっきりと言った。笑顔がチャーミングだった。

    チェジュは、三多三無(さんた・さんむ)の島といわれる。三多とは、石が多い・風が多い・女が多い、三無とは、泥棒がいない・飢えた人がいない・門がないという意味だそう。何故女が多いの? この素朴な疑問に、辛さんはゆっくりと話し始めた。
    島のほとんどが火山灰という痩せた厳しい土地での暮らしでは、大家族制度は育たず、夫婦中心の小家族が一般的で、おのずと嫁の発言力は強く、女性の生活力の強さが目立っていた。男性は、書を読んだり、賭け事に興じたりして、実質上の生活を支えていたのは女性たちであった。さらに・・・。

    時は1948年、韓国は日本に併合されていたが、第二次世界大戦で日本が敗れたあと、朝鮮半島は、米ソの対立という背景もあり、イデオロギーの対立が激しかった。南朝鮮単独選挙に反対する人が集まり、武装蜂起する舞台となったのがチェジュであり、4月3日には、8万人もの男性が殺されるという事件が起きた(四三(よんさん)事件)。殺されたものは、特に政治的イデオロギーを持つ者ばかりではなくて、一般の市民も多く含まれていた。彼女たちにとっては、自分の父であったり、祖父であったり、夫であったりした訳だ。そして、ことの詳細は未だに解明されずに、チェジュの人は、心に傷を負ったまま、4月3日には法事を行うのだと。哀しい歴史を心に秘めて、チェジュには女が多いと・・・。

   土産物店をいくつか回って、ホテルまで送ってくれた。今回のホテルは、2000年3月にオープンしたばかりの大型リゾートホテル、ロッテである。伝説『翼のある王子』をモチーフにして建てられたというそのホテルは、とても美しかった。入り口を入ると、正面に大きなガラスを通して広大な庭や池の拡がりが、そしてその向こうには海が見えた。大きな風車がゆるゆると回っていた。

    案内されたジュニアスイートの部屋は、50㎡を少し超えるくらいのゆったりとした広さで、センス良くまとまっていた。バスルームにはきちんとシャワーブース。旅の良し悪しの50㌫は宿泊する部屋で決まる・・・そう信じているリゾート研究家シーナとしては、合格点である。残りの20㌫は、窓からの景色・・・。滝あり、池あり、風車ありの広大な庭園が一望できた。でも、あれっ? バルコニーがない・・・。窓から見渡せる他の部屋にはみんなバルコニーがあるではないか。ジュニアスイートのこの部屋に、いずくんぞ、バルコニーやなかりけむ。

TEXT/椎名 まこ
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