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新緑の頃、母をつれて旅にでた(黒川温泉)<1>

    新緑が美しい頃だった。『お天気もいいし、行きましょうよ。』『でもねえ、ちょっと風邪の具合が良くなくて・・・。』『大丈夫、行けば元気になりますよ。』押し問答の相手は、母である。(正確に言えば、義母ですが。) 70歳も半ばを過ぎると、体が思うように動かない。環境の変化にちゃんと対応できるかどうかも不安である。今さら、慣れないことをして、わざわざ疲れに行かなくとも・・・。そこまでの買い物でさえ一仕事なのに、2時間も車に揺られて、知らないところへ行き、そこで泊まるなんて・・・。そんな揺れる彼女の心を決意させたのは、孫の一言だった。
    『おばあちゃま、一緒に行こうよ。』
    こうしておばあちゃまと身の回りのお世話をしてくれるYさん、息子夫婦と孫の総勢5名は、出発した。車のトランクには車椅子を押し込んで。

    今回の旅は、老いて残された時間も次第に少なくなる母との、心の交流を深めたい、そんな想いからの企画だった。それは、母への親孝行というよりは、自分たちの心に母との楽しい思い出を刻んでおきたい、そんな想いからだったかもしれない。行程はできるだけ無理のないように、そして、旅行好きだった母が昔、自分の夫や子どもたちと共に行った、その思い出に刻まれているであろう場所を辿るルートを選んだ。

    車は九州自動車道を南に向かった。菊水インターから山鹿温泉を越えて、菊池へ向かう。菊池一族の栄華の話や、温泉街の旅館の話をしながら、菊地渓谷へ到着。
    車椅子を押して遊歩道を歩く。阿蘇外輪山の伏流水が流れるその渓谷は、凛として美しかった。川底まで透き通ってみえる水の流れは、ただ見ているだけで心洗われる。泳いでいる魚の姿まで見えそうだった。

    前にここでヤマメを釣ったことがある。針のついた餌をわが意に反して食べてしまったその魚は、憮然としながらその姿を現した。太陽にパーマークがきらりと光った。餌が少ないのか、生存競争が厳しいのか、痩せてはいたが、美しいヤマメだった。あまりの神々しさに、自宅の水槽で飼ってみた。菊丸と名づけた。菊池一族ゆかりの(?)誇り高きヤマメは、飼育されることを良しとせず、餌を受け付けないで死んでしまった・・・。

    水面にかかる木々の新緑が、やわらかい匂いを放っていた。ごつごつの遊歩道は、車椅子に座る人にとっては、おしりの痛い道だったが、母は、存分にその美しい空気を吸い、清清しい顔をしていた。

TEXT/椎名 まこ
E-mail : nagi@nagi-web.com