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ウォルトディズニーの世界<1>

    ミッキーマウスなどの楽しいアニメのキャラクターを生み出し、命を与え、また、 大人も子どもも楽しめる夢の遊園地、ディズニーランドを作ったのは、誰よりも夢を追い求めたウォルト・ ディズニーであることはよく知られていますが、その陰で、夢を現実のものとして、実現にこぎつけるために、 ウォルトをサポートし続けたウォルトの兄、ロイ・ディズニーの存在を忘れるわけにはいきません。二人がお互い を認め、助け合い、それぞれの力を発揮し合った時に、今のディズニー王国の礎が築かれたのです。

   1834年に、ウォルトとロイの曽祖父が、アイルランドからカナダに移住、その後、 一家は、カンザス、フロリダ、シカゴと移り、1893年6月24日、ロイ・オリバー・ディズニー誕生。1901年12月5日、 ウォルト・イライアス・ディズニー誕生。(上に兄が2人おり、ウォルトの誕生の2年後には、妹も生まれている。) 父は当時、建築工事の請負の仕事をしていた。勤勉実直、気難しく厳しい父親だった。母は、すばらしいユーモア のセンスの持ち主で、夫を助け、子供たちの世話をし、よく働いた。シカゴの景気が悪化し、仕事がなくなったので、 一家は1906年、ミズーリ州リン郡マーセリーンに、20haの農場を買って、そちらへ移った。子どもたちを大都会では なく、自然に囲まれたところで育てたいという両親の判断でもあった。ロイ12歳、ウォルト4歳の春であった。

    そこはきれいでのどかな農場だった。ロイは、農場の仕事を手伝う傍ら、まだ小さい ウォルトをつれて、森を探検したり、川で泳いだり、兄弟はのびのびとした時間を過ごした。(この景色は後の ディズニー映画にも登場することになる)

    一家は1910年秋、カンザス・シティへ移り、父の新聞販売の仕事を手伝い、ロイとウォルト は、日が昇る前に起きて朝刊を配り、配達を終えて学校へ駈け込み、授業が終わると、夕刊を配らなければならなかった。 たいへんな仕事だったが、兄弟は慰め励まし合い、本当に仲がよかった。

    ロイは高校卒業後、銀行に勤めるが、1917年アメリカが第一次世界大戦に参戦すると、 海軍に入隊した(22歳)。同年、父は新聞販売の仕事をやめ、一家はシカゴに移り、ウォルトは、シカゴの高校で 校内誌に漫画を描いたり、シカゴ美術館の美術学校へ通った。16歳になると、自分も戦地で戦いたいと赤十字の アメリカ救急部隊に入り、フランスに赴いたが、フランスに到着する前に戦争は終わった。

    1919年ロイは除隊しカンザスシティへもどり、一家もシカゴでの事業に失敗し、 カンザス・シティにもどってきた。ウォルトも、フランスから帰ると、カンザス・シティで商業アーティストの 助手として働き始め、アーティストとしての人生が始まった。

TEXT/堀川 貴子
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