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旅へのいざない〜旅行記〜

≫ワールドカップをともに戦う<4>

    青いユニフォームの小澤征爾さんがいた。音楽を奏でる時の顔とは全く違う、静かな優しい雰囲気が溢れていた。
    『ご一緒に写真撮らせていただけますか?』
    返事を待つ間もなく、パシャリ。自称、"山本耀司先生の名代"にしてはミーハーだ。
    夕暮れの田舎道は、のどかだった。どこかで鐘がごーんとなって、カラスがカーと飛んでいく。そんな雰囲気。道端には、やはり露店が並ぶ。最後の日らしく、どこでも叩き売りの風情。持ってってーと声をかけられる。一つ買うと、ありがとう・・と5個くらいおまけしてくれる。
    この1ヶ月のたくさんのドラマ。ワールドカップは、単にサッカーの試合というのみならず、たくさんのことを、私たちに与えてくれた。喜びも悔しさも、たくさんの人との共有できる同じ思い。肩ひじ張ることもなくごく自然に持ってしまった愛国心。ナショナリズムなんて無縁のものと思っていたのに。そして思わず知らず考えてしまったアイデンティティ。大国、小国関係なく1。核の保有も、GNPも、面積も人口も何も関係なく1。ルールは、誰としても、どこでしても同じ。世の中の善悪を決めるのに、戦争などという手段を使おうとする驕りは捨てて、この真実こそ見つめるべきではないのか?
    最後の試合は素晴らしかった。応援はブラジルが圧倒的に多かったが、生粋の正しきドイツ人の姿もあった。きちんとネクタイを締めてしゃんと座り(飲酒観戦などもってのほか)、"オーリ、オーリ"(オリバー・カーンのことです)と隣組の友人みたいな感じで応援しているのが、なんとも印象的だった。私は自分のドイツ製BMWを思った。この車は、華やかさはないが、もう7年も乗っているのに、壊れない。壊れたら買えばいい的発想はないのだ。壊れないものを作るという発想。以前に乗っていたフランス車は、3年もたずに動かなくなってしまったことを思うと、ドイツの国民性を改めて感じてしまう。まさしく、点を入れられたら入れればいいの発想ではなくて、点を入れられないようにするのだ。
    堅実なドイツと奔放なブラジル。華やかでスピーディなプレイを展開したブラジルに勝利の女神は微笑み、カーンは放心状態で、立ち上がれずにいる。世界最高の舞台が分ける勝者と敗者。敗者とて、厳しい戦いに競り勝ってきた実力者、NO2であるのに、その落差の大きさを、選手が一番感じているのだろう。
    カフーが黄金のトロフィーに口づけし、高々と掲げると、折鶴がステージに吹き上がった。時を同じくして、観客席にも、屋根から大量の折鶴が降り始めた。ああ、私たちが折った鶴だ・・・。鶴は大粒の雪のようにあとからあとから降ってきて、1ヶ月の長い宴の跡を消していく。しかし世界中のたくさんの人々の心の中に残したそれぞれの思い出は消えることはない。
    (お力添え下さった山本耀司先生、アディダスとの間で、事務処理をして下さったKさん、電話をくれたYさん、ロシア戦のチケットを譲ってくれたNさん、心よりお礼申し上げます。)

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TEXT/椎名 まこ
E-mail : nagi@nagi-web.com

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