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こころの病気について

≫『うつ』を知る

<1>その概念
    現代社会においては、あちこちで容易に抑うつの種を見出すことができます。めまぐるしい社会の変化は、次々と新たな不確定要素を生み出し、価値観は多様化し、私たちは絶えず「あるべき自分の姿」を見失う危機に瀕しています。
    従って、さまざまな価値観に合わせ得る柔軟な姿勢と、よほど一貫した「生きてゆくべき態度」を併せ持っていない限り、私たちは簡単に社会不適応を起こし得るのです。その結果、ひき起こされる心の病の中でも、特に、無気力や倦怠感などの精神、及び、身体機能の渋滞を主症状とし、日常生活にも支障を来たしたものが、いわゆるうつ病として、治療の対象となります。
    それにしても、同じ危機的状況に瀕しても、誰もがうつ病になる訳ではありません。風邪をひきやすい人がいるように、うつ病にもなりやすい性格というものが存在します。
    うつ病の発病に際しては、その多くに何らかの喪失体験が関与していると言われています。ここでいう喪失体験とは、急激な、周囲の状況や価値観の変化に基づく自己評価の傷つきや、自信の喪失、自分にとって重要な人との別離や拒絶、期待に応えられない体験(たとえば、結婚や栄転、昇進などの祝い事も喪失体験になり得ます)、などを言います。従って、うつ病になりやすい人とは、このような喪失体験に敏感な人ということができます。このような人は当然、喪失体験を避ける努力、たとえば、自分を取り巻く社会のルールや秩序に過度に執着したり、全能的に周囲を支配しようとして、少しでも大事なものを失うことを防ぐことに専念する傾向にあります。一般には、真面目で責任感が強い人であり、周囲の期待も大きく、その分、その期待に応えられない体験をする機会も多くなる訳です。(このように抑うつになりやすい人特有の「状況に対する認知の仕方」に焦点をあてたカウンセリングを『認知療法』と言い、当院でもうつ病の改善に優れた効果をあげています。)
    人は誰にもそのライフサイクルに応じてうつ病になりやすい時期というものが存在します。
    私たちは10代後半から20代にかけて、将来自分が傷つかないため(これは精神機能の重要なテーマのひとつでもあるのですが)にも、自分という存在を社会の中にどう位置づけるか(「〜としての自分」を確立する)という最も困難な課題を克服しなければなりません。この精神作業が達成できない間は、私たちは、安心できる場を持てず、目標が定まらないまま、容易に自己評価の傷つきを体験することになり、慢性的な抑うつ状態に陥りかねないのです。
    さて多くの人は取り敢えずこの課題を克服し、例えば女性は「母親としての自分」を、男性は「職業人としての自分」を全うしつつ、30代から40代に突入します。ところがふと気がつくと子どもも大きくなり、いわゆる親離れの時期にきています。母親としての自分の存在価値がいつの間にか薄れてしまい、自分の人生がとても空虚なものに感じてしまいます。また、俗に言う更年期障害を通して、女性としての機能の衰えを知ることとなり、身体の不調と共に、心が揺れ動きやすい時期でもあります。男性はそろそろ管理職に任じられ、それまでと違った能力を周囲から求められるようになり、新たな自己評価の傷つきを体験する危機に直面する機会が多くなります。いずれも、充分にうつ病のきっかけとなり得ることです。
    今まで述べてきたような危機を何とか乗り越えてきた人も、60代になるといよいよ、誰も避けることができない喪失体験を味わうことになります。子どもたちとの別離、退職、親の死、ありとあらゆる精神、身体機能の衰えなど、どれをとってもいわゆる退行期うつ病の引き金となり得ることは、改めて説明することもないでしょう。
    人生にはさまざまな抑うつの落とし穴が待っています。しかし、心配はいりません。軽い抑うつはむしろ、困難を乗り越えるためのエネルギーの充電期間として必要ですし、改めて自己と対面し、新しい認知の仕方を獲得するなどといった、心の成長のきっかけとして捉えることもできます。また、たとえうつ病にまで発展したとしても、適切な治療さえ受ければ、うつ病は必ず治る病気なのです。

<2>へつづく →

院長/堀川 喜朗


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