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こころの喫茶室

≫間口

    言いようのない閉塞感のままハンドルを握り、漸くたどり着いたそこは、谷を抜けてきた風が木々の若葉をゆらし、やわらかい陽射しで溢れた、淡い影と透明な黄緑の空間を用意してくれていた。
    遠くに野生の声を聴きながら、自然の波動に包まれ、やっとほぐされ訪れた極上のまどろみは、しかし、『ギィー』という低くよくとおる声でまもなく中断された。
    目の前で何回か波状飛行を繰り返したその鳥は、すぐそこのナラの枯れ木にたどり着き、さっと姿をくらました。目を凝らすと、直径数センチのコンパスで測ったような丸い穴があいている。数秒後、尖ったくちばしを持った愛らしい顔がのぞき、あたりすばやく見回したかと思うと再び、森の中に消えていった。
    キツツキだった。
    それから2時間、私はこの木の、ひとり胸躍らせる番人と化し、出入りするに程よい大きさのその巣穴に、決まった時間ごとに餌をくわえ運び込む姿を見届けた。
    この森は、枯れ木でさえ、静かに生命を育んでいる・・・。
    ほのぼのとした高揚のまま、私はまた、ハンモック上の人となり、静かに目を閉じ、想いをめぐらす・・・。あの鳥がどうやって、自身の大きさをはかることができたのか知るよしもないが、絶妙な大きさの間口を持つ巣穴の主(あるじ)である彼女は、それ以上の自由を求めることもなく、これからも、淡々と餌を運び、子どもを育て上げ、やがて静かに一生を終えるのだろう。
    いつの頃からか生活の中に窮屈さを感じていた私は、きっと知らぬ間に心の間口を、自ら小さくしてしまっていたに違いない。こうして制限を課される機会を増やさぬことで生まれる自由にこだわる限り、多分、この閉塞感は今からもずっとついてまわるだろう。少しずつ、心の間口を広げてみよう。そうして生まれるであろう束縛の中にも感じることのできる自由こそ、今の私には必要なのかもしれない。求めすぎることのない、等身大の自分が自由に行き来できる、程よい大きさの間口が、きっとみつかるだろう。 
    生きる為のヒントはいつも自然の営みが教えてくれる。

久留米セントラルクリニック
堀川 喜朗

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